その男性(ひと)は、フルオーケストラの指揮者の如く。
2005年11月25日 好きな音楽のお話久々の日記は、愛する家族のことでも、最近ご無沙汰なしゅみれしゃまのことでもなく。
スタニスラフ・ブーニンのピアノリサイタルについて。
昨日、福岡シンフォニーホールに聴きに行きました。
それはもう、久しぶりにどきどきしたので是非書きたいと思っていたら、今日はどうしたことかちびちゃんもちょびくんも珍しく同時に、くーすかくーすか二人同じお顔になって眠ってくれているのでこれは書かなければ、とそれはもう3か月ぶりくらいかな、PCの前に座りました。
その間、書きたいことは山ほどあったんだけど、以下に省略するとしましょう。
クラシックコンサートは去年の10月のヨー・ヨー・マ以来。
実に一年ぶり!!?
ええええっっ!!!そうだっけ???…そ、そりゃそうだよな。
その後、とてもコンサートなんて行ってる場合じゃなかったモン(いや、今が旬のしゅみれパワーは別です。)
ヨー・ヨー・マも感想を書きたかったのに書かないままでした。
でも、もう、細かいこと忘れた。
とにかく、毎年のように来て下さるから、ヨー・ヨー・マだけは聞き逃すまいと誓ったことだけは鮮明に覚えているけれど…来年も行こう。
ここにブーニンを並べると、なんてミーハーな人だと笑われそうですが。
いいのっ!
やっぱりその人の奏でる音が好きならそれでいいんだもんっっ!!
お二人の共通点は、透明度。そして軽やかさ。
ああ、陳腐な言葉しか出てこない、貧弱な語彙力にがっくり。
でも、それ以外表せないんだもん。
数年と言わずとても久しぶりに再会したブーニンの調べは、こんなに円熟された音を弾いてもなお瑞々しさに溢れていて、若い音のまま重厚さをプラスした、やっぱり『ブーニン』でした。
ものすごく、『ブーニン』でした。
5年ごとに開催されるショパンコンクールにちなんで、全曲ショパンで固めた『All Chopin Program』
その構成はもう、飽きるはずもない素晴らしさで、メジャー過ぎずマイナー過ぎない名曲の中から、さらにメジャー寄りのモノとマイナー寄りのモノを巧みに組み合わせていて。
洗われました。救われました。
ブーニンの奏でるショパンの音楽が、この頃悩みがちで疲れている心を、癒してくれました。
「そんなに、悩まなくてもいいことだよ。」
2曲目に組み込まれていた名曲、スケルツォ第2番。
わあーい♪大好きな一曲です。そう思ったのもつかの間。
まさにそれはフルオーケストラの迫力で、会場は文字通り固唾をのんでいて、いつもならどうしてもちょこちょこ聞こえる咳払い1つ出ないピアノリサイタルを、私は初めて経験しました。
ブーニンは、文字通り、全身全霊を懸けて、もしかして、ショパンが憑りうつっているのではないかと疑ってしまいそうなくらいの狂気を纏った迫力で、ある時はピアノが壊れそうなくらい、ある時はその一瞬のタッチで全てが癒されるかのように、まさにピアノを操っていました。
この曲が終わったら、ブーニンは倒れてしまうのではないか、とまで思ってしまいました。
ああ、私に文才があったら、伝えられるのに。
その曲が終わったとき。
私の心拍は上がりっぱなしで顔はほてり、呆然としていました。
ひとつの、大オペラでも観た後のような、充実感でした。
ここで帰ってよし、と言われても、ハイ、と素直に立ち上がったかもしれないくらい。
感動したピアノリサイタルで思い出すのは、もう10年以上も前、両親と熊本までプチ遠征したウラディーミル・アシュケナージ。
気が付いたら涙が溢れていたのを思い出します。
モノのそう解らない私がこんなに感動するなんてとびっくりしました。
アシュケナージは姉の影響で大好きではあったけれど…。
あんな、温かい気持ちにさせられるコンサートは、それ以来まだないけれど、昨日のブーニンは、素晴らしかった。
ミーハーにミーハーを重ねていて申し訳ない。でも、好きなんだもん
ものすごく濃いプログラムのなか、それを締めくくるに相応しい演奏で「幻想ポロネーズ」と呼ばれるポロネーズ変イ長調で幕を閉じ。
心を満たした聴衆にこれ以上ないくらい軽やかに「子犬のワルツ」で余韻をあっさりに仕上げてブーニンは去って行かれました。
もう、腕が動かないよ、ごめんね。
のジェスチャーは、これまた10年くらい前、すたすたすた…とピアノに歩み寄り、ぱたん、とピアノの蓋を閉じて客席を振り向きもせず去っていったのにただただ笑いを巻き起こし、嫌みが全くなかった青年を思いだし、変わらないなーと嬉しかった。
スタニスラフ・ブーニンのピアノリサイタルについて。
昨日、福岡シンフォニーホールに聴きに行きました。
それはもう、久しぶりにどきどきしたので是非書きたいと思っていたら、今日はどうしたことかちびちゃんもちょびくんも珍しく同時に、くーすかくーすか二人同じお顔になって眠ってくれているのでこれは書かなければ、とそれはもう3か月ぶりくらいかな、PCの前に座りました。
その間、書きたいことは山ほどあったんだけど、以下に省略するとしましょう。
クラシックコンサートは去年の10月のヨー・ヨー・マ以来。
実に一年ぶり!!?
ええええっっ!!!そうだっけ???…そ、そりゃそうだよな。
その後、とてもコンサートなんて行ってる場合じゃなかったモン(いや、今が旬のしゅみれパワーは別です。)
ヨー・ヨー・マも感想を書きたかったのに書かないままでした。
でも、もう、細かいこと忘れた。
とにかく、毎年のように来て下さるから、ヨー・ヨー・マだけは聞き逃すまいと誓ったことだけは鮮明に覚えているけれど…来年も行こう。
ここにブーニンを並べると、なんてミーハーな人だと笑われそうですが。
いいのっ!
やっぱりその人の奏でる音が好きならそれでいいんだもんっっ!!
お二人の共通点は、透明度。そして軽やかさ。
ああ、陳腐な言葉しか出てこない、貧弱な語彙力にがっくり。
でも、それ以外表せないんだもん。
数年と言わずとても久しぶりに再会したブーニンの調べは、こんなに円熟された音を弾いてもなお瑞々しさに溢れていて、若い音のまま重厚さをプラスした、やっぱり『ブーニン』でした。
ものすごく、『ブーニン』でした。
5年ごとに開催されるショパンコンクールにちなんで、全曲ショパンで固めた『All Chopin Program』
その構成はもう、飽きるはずもない素晴らしさで、メジャー過ぎずマイナー過ぎない名曲の中から、さらにメジャー寄りのモノとマイナー寄りのモノを巧みに組み合わせていて。
洗われました。救われました。
ブーニンの奏でるショパンの音楽が、この頃悩みがちで疲れている心を、癒してくれました。
「そんなに、悩まなくてもいいことだよ。」
2曲目に組み込まれていた名曲、スケルツォ第2番。
わあーい♪大好きな一曲です。そう思ったのもつかの間。
まさにそれはフルオーケストラの迫力で、会場は文字通り固唾をのんでいて、いつもならどうしてもちょこちょこ聞こえる咳払い1つ出ないピアノリサイタルを、私は初めて経験しました。
ブーニンは、文字通り、全身全霊を懸けて、もしかして、ショパンが憑りうつっているのではないかと疑ってしまいそうなくらいの狂気を纏った迫力で、ある時はピアノが壊れそうなくらい、ある時はその一瞬のタッチで全てが癒されるかのように、まさにピアノを操っていました。
この曲が終わったら、ブーニンは倒れてしまうのではないか、とまで思ってしまいました。
ああ、私に文才があったら、伝えられるのに。
その曲が終わったとき。
私の心拍は上がりっぱなしで顔はほてり、呆然としていました。
ひとつの、大オペラでも観た後のような、充実感でした。
ここで帰ってよし、と言われても、ハイ、と素直に立ち上がったかもしれないくらい。
感動したピアノリサイタルで思い出すのは、もう10年以上も前、両親と熊本までプチ遠征したウラディーミル・アシュケナージ。
気が付いたら涙が溢れていたのを思い出します。
モノのそう解らない私がこんなに感動するなんてとびっくりしました。
アシュケナージは姉の影響で大好きではあったけれど…。
あんな、温かい気持ちにさせられるコンサートは、それ以来まだないけれど、昨日のブーニンは、素晴らしかった。
ミーハーにミーハーを重ねていて申し訳ない。でも、好きなんだもん
ものすごく濃いプログラムのなか、それを締めくくるに相応しい演奏で「幻想ポロネーズ」と呼ばれるポロネーズ変イ長調で幕を閉じ。
心を満たした聴衆にこれ以上ないくらい軽やかに「子犬のワルツ」で余韻をあっさりに仕上げてブーニンは去って行かれました。
もう、腕が動かないよ、ごめんね。
のジェスチャーは、これまた10年くらい前、すたすたすた…とピアノに歩み寄り、ぱたん、とピアノの蓋を閉じて客席を振り向きもせず去っていったのにただただ笑いを巻き起こし、嫌みが全くなかった青年を思いだし、変わらないなーと嬉しかった。
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