いえ、本当は『マラケシュ・紅の墓標』の感想を書こうと思ったのですが。
観るたびに解釈が変わってしまい…どこから書けばいいのやら、混乱しています。
だって、寿美礼さん…いえ、リュドヴィークったら、観るたびに違うんですもの(涙)。
でも、きっと、千秋楽のリュドヴィークが、すみれさんの解釈した…つまり正しい?リュドヴィークなのでしょうね。
あの、孤独な魂は、救われなかった………?
最後の砂漠の暗闇に浮かぶ光に向かって歩き出したリュドヴィークの寂しげな表情が忘れられません。

とにかく、5回分の感想を書くしかないのでしょうが。
感想は後ほど…にします。

いえ、緑野さま。きっときっとこの数日内に書きます。
読んでくださってありがとうございますっっ


でも、確信しました。
すみれさんが、大好きだって。
…今まで、確信していなかったわけではないんですけれど、何しろ妊娠中、特に最後の一ヶ月、全くタカラヅカを観る気がしなかったんです。
私もしかして、もう、すみれさんのこと、好きじゃなくなったんじゃあって、不安になっていたから。
生んだ途端観たくなって、一ヶ月間実家にあるアプローズ!の初日までの数本を一日一本ずつ観たのですが。
それでも以前ほどの情熱があるのか、自分でも解らなかったんです。
ああ、よかった。

そしてもうひとつ。
こちらを言いたかった。

春野寿美礼は天才だ。

私がこんなこと叫ばなくたって、みなさんそう思っていらっしゃるとは思うのですが。
(うんにゃ、と思ったそこのあなた。生で観てないでしょう!!?)←誰に言ってるんだか。

死の世界と隣り合わせたような砂漠への入り口・マラケシュに集まってくる孤独な魂を救う神さま(=オープニングのすみれさんのココナッツ解釈)がマラケシュに舞い降りたかのような、現実と幻の狭間に生きる男、リュドヴィーク。
人を愛し、愛されることの…いえ、生きることの虚しさを、細やかに、でも何気なく、美しく、私のような貧弱な受け皿にさえも深く深く浸透してしまうような、そんなメッセージを送って下さいました。
観る者のどこかに潜んでいる孤独な魂さえも救ってくれるかのように。

どのリュドヴィークを観ても感じたのはこのことで。
観る度に変わっていくこと。
リュドヴィーク自身の魂は、一体どうなったのか。
彼は、誰かを愛していたのか。それとも誰も愛せなかったのか。

石の花、金の、薔薇の持つ意味。

失った時間の幻影。

すみれさんはまるでその幻影そのものであるかのように美しく、孤独で寂しげで、そして儚いようで大きく、力強く、圧倒された。

瞳が、光を吸収して自らその光を放つ宝石のように綺麗なんです。
惹きこまれ、魅入ってしまうほどに、輝いていて……
……もう、目が離せない。
全体を観たいのに、オペラを離せない自分が居て、そのひとつひとつの表情に深い意味を感じてしまうんです。

例えすみれさんをタカラヅカが失うその時が来ても。
その至宝の才能を最大限に生かす道が、出会いが、彼女にきっとありますように。
考えたくもないことだけど、切にそう思うのでした。

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